Nagomi's room
azumi-kuwadate:

クリスタ・ソムラー&ロラン・ミニョノー「Life Writer」
文字を打つと、当然文字が打てるが、紙に印字されるのでなく、紙に投影された映像として文字が映し出され、暫くするとその文字が、虫に姿を変えて、紙を飛び回ったり歩き回ったりするという作品。

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クリスタ・ソムラー&ロラン・ミニョノー「Life Writer」

文字を打つと、当然文字が打てるが、紙に印字されるのでなく、紙に投影された映像として文字が映し出され、暫くするとその文字が、虫に姿を変えて、紙を飛び回ったり歩き回ったりするという作品。

【スペャル対談 麻生太郎×三橋貴明】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18217653

 上記の麻生元総理との対談を見て頂くと、現在の「経済」に関する状況、あるいはバブル崩壊後の日本の経済政策の現実が、相当に理解できると思います。特に、小泉政権期の経済政策について総理とわたくしが話している部分は、必見です。


 また、消費税増税の際の景気条項、公共投資、国土強靭化、量的緩和、デフレ対策、財務省、将来の日本などについて、かつてないほど(麻生総理が)踏み込んで発言をして頂きました。一部だけ、書き起こします。



三「野田政権が一番腹立たしいのはですね、まあ三党合意の話はちょっと置いておいても、政府の負債、財務省の言う国の借金について、将来世代にツケを残すなって言うじゃないですか。お金なんて、日銀が発行したらそれで終わりなんですよ。そうじゃないんです。このまま日本のデフレが深刻化していってですよ、公共事業やりません、企業は設備投資をしません。だんだん、基盤がボロボロになっていきますよ。結果的に最後は、国民が働こうとしても働けない国になったようなものを、将来世代に残すことこそが、将来世代へのツケの先送りだと思うんですよ」


麻「それは全く正しい。今の表現は巧いなあと思うけど、国民は政府に対して債務者じゃないからね。債権者なんだから、ね。将来に向かって立派な、安全な道路とか橋ができました。ね。設備投資でいい会社も出来ました。雇用もあります。そういう、活力ある高齢化社会でもいいよ。高齢化したって活力があればいいんだから。活力ある高齢化社会というのをつくるのに成功したら、世界が日本を見倣うよ。間違いなく世界は日本を見倣う。僕はそう確信しているんだ。そういうような国にどうやってやるかを考えた方が、余程いいような気がするんだけどなあ」


三「もう一つポイントがあるんですよ。高度成長期に作ったインフラストラクチャーの寿命が、ちょうど今来ていますね。それで、さらに東日本大震災が2011年にありまして、国民は安全というものを求めています。本来、ここで政府が金を使わなければいけないんですね、当然ながら。でも普通の国はインフレで、金利も高いので、政府が国債発行できないんですよ。ところが日本はデフレなので、0.8%というふざけた金利で政府がお金を借りて、さらに国内は仕事が無い人たちで困っているわけなんで、みんなが働けば出来るわけですよ。わたし、神様が、日本を称えてくれているんじゃないかと思うくらい、凄い幸運だと思うんですね」


麻「賛成」


三「いまインフレだったら、大変ですよ、これは」


麻「それは間違いない。僕もね、金利が安い、土地が安い、工事費が安い、工期が短い。今やんなければアホですから


角「いまが一番いいのに、ということですよね」


麻「だから、自民党が国土強靭化と言うと、また公共工事とか言うけれど、あの東北の大震災を見れば、日本人として一番買っておきたいのは、安心と安全なんじゃないの。安心と安全に勝る買い物なんて、ないですよ」

「学生のときもっと勉強しておけばよかった」と言う大人はしょっちゅう見かけるけど、その裏にある「今はしたくても忙しくてできないから」という思考にいつも腹が立つ。その思考こそがあなたが学生のとき真面目に勉強しなかった所以だろうに、それに気づかず、その思考を未だに持ち続けてる時点であなたは一生教養を深めることなんてできないんだ・・ しかもそれを発言するところが尚ひとを苛立たせる いらいらっ
おじいさんが田舎で一人暮らしをしていました。
彼は庭でジャガイモを育てるため、土を耕したいと思っていました。
しかし老齢の彼にその畑の土は硬すぎて、掘り返すのはとても困難でした。
昔は一人息子のフレッドがよく手伝ってくれたのですが、今は刑務所にいます。
彼は服役中の息子に一通の手紙を書きました…。

フレッドへ
本当に残念だが、今年はどうやらジャガイモを植えられそうにない。
もう歳で庭を掘り起こせそうにないんだ。
お前がいればわしの代わりに掘ってくれたろうし、お前がいてくれたらどんなにいいかと思うよ。
父さんより

数日が経ち、息子から返事が届きました。

父さんへ
庭を掘っちゃいけない、死体を埋めたのは庭なんだ!
フレッドより

翌日の朝4時頃、FBI捜査官が地方警察と一緒にやってきました。
彼らはおじいさんの庭を全て掘り起こしていきましたが、死体は見つかりませんでした。彼らはおじいさんに謝罪をして去っていきました。
同日、もう一通の手紙が息子から届きました。

父さんへ
ジャガイモを植えるのは今だよ。俺にできることはそれしかなかったんだ。
フレッドより
norick:

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uinyan:

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twinleaves:

6月18日 撮影/小関与四郎
 最近投稿した濱谷さんの混浴写真に合わせて、この小関さんの写真をアップ。
 当時は当たり前のことであっても、現在を生きる私達にとって当たり前でないことがある。
 にもかかわらず、私達の多くは、現在を生きる自分の価値観や偏狭な視点を、過去にもあてはめてしまう。過去にかぎらず、異国の人たちにもあてはめてしまう。
 もっとも大きなポイントは、人間の幸福観だ。こういう写真を見て、男が女を奴隷のように使っていると反発する人がいる。しかし、実際は、男にはできない仕事を女がしているにすぎない。水温が低くなると、皮下脂肪の少ない男の身体だと耐えられなかったそうだ。
 また当時の人たちは大変だなあ、それに比べて今の我々は楽で幸福だなあと単純化する人もいる。
 しかし、明治の初期の写真で、小柄な老婆が、大きな米俵を軽々と肩に乗せて運んでいる写真がある。我々が大変だなあと思うのは、機械に頼りすぎた我々の身体が、重いものをもてず、暑さ寒さに弱く、すぐに辛くなるようになってしまっているだけなのだ。そして、身体を巧みに使う方法だって忘れてしまっている。現在でも、アフリカには、水がいっぱいに入った大きな水瓶を頭に載せて軽々と運び、決して落とすことのない女性たちがいるが、人間の身体は、私達が想像しているよりも遥かに精巧で頑丈なのだ。現代人は長生きする。だからといって、丈夫な身体を持っているわけではない。ダマシダマシ、長い時間を過ごしているだけにすぎない。
 ゾウガメのように、できるだけエネルギーを使わないように生きている動物は、百年を超えて生きるが、生の充実度は年数では計れない。
 また、昔と今では、恥の概念も違ってくる。明治時代の初期に日本を訪れた外国人が、家の軒先で裸で水浴びをしている女性を見て、非常に驚いたと記録している。
 明治の初期まで、女性は非常に大らかだったようだ。そして、家の前を通り過ぎる男たちも、べつだん、ジロジロと見たりしなかったそうだ。
 それは女性蔑視ではない。”どうでもいいこと”と、”大事にすべきこと”の範疇が、今と昔で違っていただけのこと。
 今の私たちが、”どうでもいい”と思っていることは、普遍的に”どうでもいいこと”なのではなく、色々な環境要因によって、私達の感性や思考がそういう風に作られているだけ。同様に、私達が大事に思っていることもまた、普遍的に”大事なこと”ではない。 
 この写真は、わずか40年~50年くらい前のもの。
 人の半生の間に、社会の価値観は大きく変容する。

(以下は、以前にアップした時の記事。)
 今年の連休中に能登で漁師の逞しさに触れて思い出したのが、この小関与四郎さんの九十九里浜の写真。小関さん自身も豪快な人だが、彼は、30年以上にわたって九十九里だけを撮り続けている。この写真は、戦後のものであり、ほんの30年ほど遡ると、日本にはこういう光景がまだ存在していたのだ。
 九十九里浜は、ご存知のとおり、砂浜の遠浅海岸であり港がない。だから、漁に出る時には、砂浜から海へ船を運び、戻ってきたら、海から砂浜に船をあげる。この重労働を、なんと女が負っている。とりわけ冬、水温が低くなると男の身体だと耐えられず、男よりも冷温に強い女に頼るしかないらしい。女は、凄い。
 九十九里浜の海岸は、戦後、護岸工事が繰り返され、かつての面影は急速に失われている。いくらコンクリートで固めても、台風に直撃されると壊れてしまうので、修復工事ばかりやっているらしい。さらに、海岸線をコンクリートで固めたため、近年、砂浜は急速にやせている。
 九十九里にかぎらず、日本各地で同じようなことが行われている。何百年、何千年と続けてきた人間と自然の営み。海に削られた陸は、他のどこかで砂浜となる。そのリズムを、この数十年の間で、人間が狂わせてしまった。
 人間は、欲心によって何でもかんでも自分のものにしたがるが、けっきょく、それ以上のものを失っている。
 堂々と裸になって海で働く女性達の神々しいまでの眩しい姿を、日本ではもはや見る事はできない。
 この写真は、風の旅人の第29号で特集した。→http://www.kazetabi.com/bn/29.html

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6月18日 撮影/小関与四郎

 最近投稿した濱谷さんの混浴写真に合わせて、この小関さんの写真をアップ。

 当時は当たり前のことであっても、現在を生きる私達にとって当たり前でないことがある。

 にもかかわらず、私達の多くは、現在を生きる自分の価値観や偏狭な視点を、過去にもあてはめてしまう。過去にかぎらず、異国の人たちにもあてはめてしまう。

 もっとも大きなポイントは、人間の幸福観だ。こういう写真を見て、男が女を奴隷のように使っていると反発する人がいる。しかし、実際は、男にはできない仕事を女がしているにすぎない。水温が低くなると、皮下脂肪の少ない男の身体だと耐えられなかったそうだ。

 また当時の人たちは大変だなあ、それに比べて今の我々は楽で幸福だなあと単純化する人もいる。

 しかし、明治の初期の写真で、小柄な老婆が、大きな米俵を軽々と肩に乗せて運んでいる写真がある。我々が大変だなあと思うのは、機械に頼りすぎた我々の身体が、重いものをもてず、暑さ寒さに弱く、すぐに辛くなるようになってしまっているだけなのだ。そして、身体を巧みに使う方法だって忘れてしまっている。現在でも、アフリカには、水がいっぱいに入った大きな水瓶を頭に載せて軽々と運び、決して落とすことのない女性たちがいるが、人間の身体は、私達が想像しているよりも遥かに精巧で頑丈なのだ。現代人は長生きする。だからといって、丈夫な身体を持っているわけではない。ダマシダマシ、長い時間を過ごしているだけにすぎない。

 ゾウガメのように、できるだけエネルギーを使わないように生きている動物は、百年を超えて生きるが、生の充実度は年数では計れない。

 また、昔と今では、恥の概念も違ってくる。明治時代の初期に日本を訪れた外国人が、家の軒先で裸で水浴びをしている女性を見て、非常に驚いたと記録している。

 明治の初期まで、女性は非常に大らかだったようだ。そして、家の前を通り過ぎる男たちも、べつだん、ジロジロと見たりしなかったそうだ。

 それは女性蔑視ではない。”どうでもいいこと”と、”大事にすべきこと”の範疇が、今と昔で違っていただけのこと。

 今の私たちが、”どうでもいい”と思っていることは、普遍的に”どうでもいいこと”なのではなく、色々な環境要因によって、私達の感性や思考がそういう風に作られているだけ。同様に、私達が大事に思っていることもまた、普遍的に”大事なこと”ではない。 

 この写真は、わずか40年~50年くらい前のもの。

 人の半生の間に、社会の価値観は大きく変容する。

(以下は、以前にアップした時の記事。)

 今年の連休中に能登で漁師の逞しさに触れて思い出したのが、この小関与四郎さんの九十九里浜の写真。小関さん自身も豪快な人だが、彼は、30年以上にわたって九十九里だけを撮り続けている。この写真は、戦後のものであり、ほんの30年ほど遡ると、日本にはこういう光景がまだ存在していたのだ。

 九十九里浜は、ご存知のとおり、砂浜の遠浅海岸であり港がない。だから、漁に出る時には、砂浜から海へ船を運び、戻ってきたら、海から砂浜に船をあげる。この重労働を、なんと女が負っている。とりわけ冬、水温が低くなると男の身体だと耐えられず、男よりも冷温に強い女に頼るしかないらしい。女は、凄い。

 九十九里浜の海岸は、戦後、護岸工事が繰り返され、かつての面影は急速に失われている。いくらコンクリートで固めても、台風に直撃されると壊れてしまうので、修復工事ばかりやっているらしい。さらに、海岸線をコンクリートで固めたため、近年、砂浜は急速にやせている。

 九十九里にかぎらず、日本各地で同じようなことが行われている。何百年、何千年と続けてきた人間と自然の営み。海に削られた陸は、他のどこかで砂浜となる。そのリズムを、この数十年の間で、人間が狂わせてしまった。

 人間は、欲心によって何でもかんでも自分のものにしたがるが、けっきょく、それ以上のものを失っている。

 堂々と裸になって海で働く女性達の神々しいまでの眩しい姿を、日本ではもはや見る事はできない。

 この写真は、風の旅人の第29号で特集した。→http://www.kazetabi.com/bn/29.html

ところが昨今、訳の分からない連中が増え過ぎまして、
ここ海ですよー!
って言っても分からないんですね。
やれ、服が濡れただの、水が塩っぱいだの言うわけですよ。さらには、深すぎて取りに行けないとか言い出したり、溺れてしまったがどうしてくれるんだとか言い出す始末なのです。
海だっつってんだろバカ!

俺のねーちゃん関西で国語の教師やってんだけど、先月新しい担任受け持ったんだ。4年生。
で、そこで「虎王人」って名前の男の子がいたんだと。仮に苗字は田中としとく。
流石に読めなくて、本人に聞いたんだ。

姉:ごめんなさい、田中君。下の名前を教えてくれる?
田中:…
姉:…?
田中:……れおと
姉:れおと君、ね。教えてくれてありがとう。

微妙な沈黙の後、聞き取るのがやっとな大きさでぼそっと教えてくれたって。

で、後日その母親が
「ウチの子供の名前が読めないのか!」「本人にわざわざ嫌みったらしく確認したのか!?」って。
子供に謝れってれおと君同席で校長室に乗りこんできた。
そりゃ読めないだろ…。校長も「いやまあ、大変個性的なお名前ですし…」
と当たり障りなく濁してたが姉がメモに「開闢」って書いて

姉:この言葉の読みと意味を御存じですか?
田中母:なんなのよ関係ないでしょ知らないわよそんなの!
姉:「かいびゃく」と読みます。物事の始まりを表します。ではこれは?
田中母:さっきから何なの!?
姉:「きょうじ」と読みます。プライドの事です。

423 おさかなくわえた名無しさん [sage] 2012/05/09(水) 18:42:05.54 ID:U2acs93m Be:
姉:これら辞書に載ってる様な言葉でも、難読なものは沢山あります。
   しかし載ってるから意味も読みも調べられます。
  ですが人それぞれである名前において、一般的ではない仮名をふって、
読める読めないがありますか。
  今はまだ良いですが、これから先、レオト君にとってこのやり取りは
恐らくずっと続く事になります。
  お母様がどれだけ立派な意味を名前に託されたとしても、それが人に伝わらなければ
独り善がりに過ぎません。
  私たち他人相手に限った話ではありませんよ、れおと君に対してもですよ。
  こういった不便な思いをするのは彼本人です。
本当に彼の事を考えて名前を決められたのですか?

大まかにこんな感じの事を言ったんだ。母親が怒り狂って「あんたねええ!!」と
姉に組み付こうとした時、それまで俯いて黙ってたれおと君が、

「いい加減にしてよ!俺が昨日言ったのはこういう事させる為じゃねえんだよ!
 先生だよ!?学校の、国語の先生でも俺の名前読めないんだよ!?
 そんな名前で、俺が今までどんな思いしてきたか、お母さん今まで一度でも
聞いてくれた事あったかよ!?」

要は、姉が名前を尋ねた日の夜に、れおと君は母親にぽそっと「先生にも名前読まれなかった」
とこぼしたらしい。
本人は母親への皮肉と言うか反抗と言うか、名前に対する不満を表す意味で告げたらしいんだけど
当の母親は「息子が名前を読んで貰えず落ち込んでいる!許せん!」となったらしい。
で、正しい意図も伝えられず勢いに押し切られたらしい。
今までも相当押さえつけられてたんだろうなあ。

母親はそれ以上は流石に何も言えなかったらしい。

何で突っかかるような真似したの?と姉に聞いたら、
名前を尋ねた時の反応で何となく、コンプレックスの様なものを感じたらしい。
で、それまでの担任や関わった教師にそれとなく聞いてみたら、
本人は名前に苦痛を感じてるらしいと。
まだ10かそこらの子供にこんな辛い思いさせやがって!と親に対して憤懣やる方なかったんだと。

救われねえなあと思ったよ。

私の友人は「斗」の字を名付けに使おうとしたら年配の親戚の方によくない字だと止められたそうです。
その話を聞くまでは私も男子の名として格好よい字だと思っていました。
挌闘家・魔裟斗さんや北斗の拳など強くりりしい印象があります。北斗七星のような輝きをと願うこともあると思います。

その時気になり角川書店の漢和辞典で調べたのですが。
「斗」には「少しの量」という意味があり、そこから転じて「つまらない人物」という意味がありました。
量りきれてしまう程度の人物ということになるのだと思います。
年配の方や国語に強い方だと気になるかもしれません。
この字の名付けに偏見はありません。
でも意味を知って、私はわざわざ自分の子に付けることはしないと思います。